妻よ薔薇のように 家族はつらいよ III

頑固な夫が見せた、愛と優しさ。

三世代が賑やかに暮らす平田家。その家事一切を一人で担っているのが長男・幸之助の妻・史枝。“フラメンコ教室に通いたい”との思いを募らせながらも、家事に追われる忙しい毎日を送っていた。そんなある日、史枝一人を残して家族全員が出かけていた白昼の平田家に泥棒が入り、史枝がこつこつ溜めていたへそくりが盗まれてしまう。すると、へそくりの事実を知った幸之助は史枝に対して気遣いのない言葉を次々と浴びせ、史枝の溜まりに溜まった不満がついに爆発、家を飛び出して田舎の実家へ帰ってしまう。家の中に主婦がいなくなり、平田家はたちまたち大混乱に。身体の調子が悪い富子に代わって周造が慣れない家事に挑戦するのだったが…。(allciema)

空き巣に入られ、へそくりが盗まれた事をきっかけにして、夫婦喧嘩が始まるが、怒った幸之助の側にも正当な理由がある。決して小金とは言えない額を盗まれ、その原因は、へそくりを蓄えていた史枝にも非があるが、幸之助のような、個人の才能に依存しない、組織の中で、汗を流して働く一般的な労働者にとっては、金とは、労働の報酬であり、自分の人生の中で、大切な時間を充てて得られた結晶なのである。だから、幸之助は、内緒でへそくりを蓄えていた事に怒っているのではなく、得難い報酬を掠め取られたことに対する怒りがあるのだ。だから、幸之助の怒りは、その根源にある人生観が、妻である史枝と合致しない事に対する、危機感によるもので、ただの喧嘩ではなく、下手をすれば、離婚の危機に繋がる、重大な出来事なのである。

家族という共同体がある事は、夫婦にとっては、結婚生活を長く続ける事になる義務を喚起するものだが、二人の喧嘩は、至極個人的なものだ。だが、子供が居る事が、史枝に最後の一線にとどまらせ、離婚という、決定的な失敗に結びつかなかった理由となっていよう。家族とは、最小単位の社会であり、そこに個人が所属している事によって、生活から堕ちない、節義と義務を保たせるものである。家族は、世代交代によっても、循環し、若く生まれ、育っていく子供たちは、大人にとっては、生き甲斐や遣り甲斐になるものである。保護を必要とするが、いずれ巣立っていく子供たちは、社会の基盤となり、老いた親たちに取って代って行く。

夫婦とは、日々交わる事によって、コミュニケーションを取りながら、助け合い生活を送って行く。史枝が、喧嘩の結果、家出する事によって、家族の生活は崩壊してしまう。それを分かっていながら、出て行く史枝には、抜き差しならない決意がある。史枝のような良妻をして、その家族を超えて、親戚一同にも、迷惑を懸ける事を厭わない事は、一族が、友好的であり、困ったときには助け合う関係を築いている事を観ての事である。だから、史枝は、もし別居が続くのであれば、家事を請け負う事になり、迷惑を懸ける憲子に最初に、自分の居場所を明かし、謝っているのである。飛ぶ鳥水を濁さず、というもので、その史枝の心には、不誠実なものは何もないし、そんな、誠実な史枝を追い詰めた幸之助の包容力の無さが際立つのである。

あくまで、家族がテーマであり、恋人であった時代、あるいは、新婚時代の、恋愛感情は無くなってしまっても、愛すべき、保護すべき家族が居る事が、二人の絆を繋ぎとめている。恋愛こそが、結婚の準備期間であり、夫婦生活を円満にするものは、次に生まれて来る命であり、つまりは、子供たちの存在である。喧嘩を落着させるものは、あくまで、二人の話し合いと和解によるものだが、頑固で威張れる幸之助を、力説して、行動に出させたのは、弟である庄太であるし、常に、史枝の心を捉えていたのも、一族であり、子供たちである。仲睦まじく幸せな家族の生活を破壊してまで、喧嘩するのには理由があり、人間とは、感情的になると、重大な誤った決断をすらしてしまうものなのである。家族とは歴史であるが、それは、安定と幸福が観えているからこそ、認識できるものであり、本作は生身の人間が全面に出る、進行形のどう転ぶか分からない、「若者達の物語」がある。
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Tracked from あーうぃ だにぇっと at 2018-06-14 07:40
タイトル : 妻よ薔薇のように 家族はつらいよIII
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by lower_highlander | 2018-06-03 17:00 | 映画 | Trackback(1)

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