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8th Round

リメンバー・ミー

居場所を求めた、孤独な魂の物語。

ミュージシャンを夢見るギターの天才少年ミゲル。しかし彼の家では、むかし起こったある出来事がきっかけで、代々演奏はおろか音楽を聴くことも禁じられていた。人々が先祖の魂を迎える“死者の日”、音楽のことで家族と衝突してしまったミゲルが、憧れのスター、エルネスト・デラクルスの墓を訪れたところ、いつの間にか死者の国に迷い込んでしまう。カラフルで美しいその世界ではガイコツたちが楽しく暮らしていた。しかし生者のミゲルは日の出までに元の世界に戻らなければ、永遠に家族に会えなくなってしまうという。そんなミゲルの唯一の頼りは、家族が恋しい陽気だけど孤独なガイコツのヘクター。しかし彼にも“生きている世界で忘れられると、死者の国からも消えてしまう”という過酷な運命が待っているのだったが…。(allcinema)

家にも個人にも歴史がある。音楽を愛したがゆえに、家族を捨てて、世界に飛び立った父親は、帰って来ず、残された妻子は、靴を作る事によって、生計を立てた。音楽と靴と、生き方は違えど、家族は家族であり、無責任な父親であっても、かつて愛した妻子には忘れられていない。自分の夢の為に、家族を捨てた事は、成功と引き換えにして、失わねばならないものもある、という事で、やがて夫婦は互いに死し、その死者の国にて、第二の人生を送っていた。そうした、人生を終えた事によっても、夫婦の再会と対話の機運となる事はない。その、夫婦愛よりも、音楽を取った父親の行動はよほど許せなかったのであるが、その感情が妻・ママ・イメルダに残っている、という事は、忘れていない、という事でもある。

死者の国は繁栄している。それは、現実世界の生者の世界が平和で繁栄し、祭祀が絶やされていないからである。先祖を敬うのは、生者である遺された家族にとってのプライドの問題である。自分達がなぜここに居られるか、どうやって生まれ育ってきたかを観れば、先祖への敬意と祭祀は決して絶える事はない。ミゲルは、家業である靴屋をそのまま継ぐのではなく、自分の力と意志で、生きて行きたいと願うは、それは、独立している証拠であり、その意志をほだす事は、家族であっても、許される事ではない。だから、ミゲルにとって、音楽とは、今は亡き高祖父である父親から受け継いだ才能を活かすチャンスがあり、それは、血の問題であり、自身の秘められた才能を掘り起こす、夢の為の行動なのである。

先祖を祭る祭壇にも、写真が残されていない父親の正体は不明であり、それは、死者の国で、わずかな忘れ形見から居場所を探す、という、ミゲルの行動理由となる。その妻であり、ミゲルの高祖母にあたるママ・イメルダは、死者の国でも多くの家族に囲まれ幸せであり、誰よりも家族の為に生きて来た事は、今の彼女に対する財産となっている。死者の国の繁栄とは、子孫の尊敬によるものであり、死してなお社会というものはある。それは、社会がある、という事は、万人にとって生き易さを求めた形の最高の体制であるからであり、死者の国が不気味で、怨念に溢れていない事は、その社会に明るい光が当たっているからである。

ミゲルの夢は純粋であり、それは、音楽家として成功したい、というものではなく、自分の血の想いと、ただ、一曲でもよいから音楽を弾きたい、という事である。だから、人生を戦略的にとらえ、その成功への道筋を探る、というものではなく、一日の想いなのである。この意味で、会えるとも知らない不明の父親を探し、その受け継いだ血と才能だけを頼りに出来る、ミゲルと父親との絆はあるのだ。それは、家族の意志、無責任に出て行った父親を嫌い、記憶から排除しようという考えとは別に、ミゲルという思春期を迎える少年の自我の覚醒による、家族関係の変化がある。彼は思い出したのだ、父親の事、才能の事を。一度失われた絆、裏切りの代償に忘れられた絆も再生する。それは、単にリヴェラ家の敵となっても、時を超えた謝罪とこれからの行動によって、償われるのである。

死者の国においても、消えて行く孤独な魂は、負け犬のものでもあるが、逆に、そこでも繁栄し、人気者で居る事は、生けるも死する世界でも、社会的功績を積んだ事に対する、尊敬の裏返しである。つまり、生者の国と死者の国とは、繋がっているのであり、死しても、その精神を保ち、歴史の中で生き続ける事は可能なのである。それは、死者となっても、社会の一員である事を自覚して、愛と意志を持って生きる事の因果によるものだ。「永遠の命」とは、権力者の野望ではなく、ひたすら、今を生きる事であり、その生の哲学が垣間見える爽やかな作品であった。


by lower_highlander | 2018-04-01 16:37 | 映画
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